薬剤師と神聖かまってちゃんと私

更新:19/1/31

はじめまして。Qurio運営メンバーのひとり、宇佐美りんごです。

当サイトでは薬剤師になりたい中高生に向けて情報を発信していますが、そんな私も昔は「薬剤師になりたい学生」でした。そして同時に、学生時代は人生のどん底でした。

長い間いじめられて人間不信になって。心も身体も壊れて、薬剤師になりたいという夢も失って。今が辛くて苦しいのに、未来まで真っ暗で、生きることを諦めようとしました。

そんな時に出会ったのが「神聖かまってちゃん」というバンドです。彼らの楽曲が、絶望の中での生き方を示してくれたから、私は今を生きることができていると思います。最近は、なんとなくでも生きてきて良かったとまで思えるようになりました。

なので、そんな私の学生時代の話をしようと思います。長くなりますが、すみません、今回だけ語らせてください……。

小学生の頃の私

私の母は、美容専門学校を卒業して美容師になった。だけど、せっかく叶えたその夢は、ひどい手荒れによって早々に諦めることになった。

私「将来は、ママの手を守れるハンドクリームみたいなのを作りたいんだけど、何の仕事になるのかな……」

母「うーん、医薬品だから、薬剤師じゃないかな?」

この日から私の夢は、「お花屋さん」とか「ケーキ屋さん」とかじゃなくて、「薬剤師」になった。

中学生の頃の私

テストで良い点を取ったら母が褒めてくれる。それが嬉しくて勉強することは苦じゃなかった。特に理科は好きなくらいで、休憩時間になっても理科の図説を隅から隅まで読んでいた。絵を描くことも好きだから、理科のノートはイラストで説明するような取り方をしていた。すると、理科の先生が私に話しかけてきた。

理科のノート

理科の先生「宇佐美さんのノートは図鑑みたいだね!毎回ノートを回収するのが楽しみだよ!でも、先生も負けないぞ!先生の黒板とどっちが見やすいか、勝負だっ!」

ますます理科が好きになった。テストでは98点以上を取り続けた。5段階評価の成績表は、体育以外オール5。いつのまにか学年TOPの成績になっていた。

中学2年生の夏頃。とつぜん女子3人と男子2人のグループに「きもw」と言われるようになった。その悪口は毎日続いたけど、「そのうち飽きるだろ」と思って無視して過ごしていた。もちろんそんな風に言われるのは嫌だし、気になってもいた。だけどすぐに、そんなことがどうでもよくなるくらいの最悪な知らせを聞いて、私はそのことで頭がいっぱいになっていた。

理科の先生「先生は、白血病という病気になってしまいました……」

白血病は血液のがん。だから入院するかもしれない。2年生の終わりまで授業を続けられないかもしれない。そんな話をされた。

職員室は2階。私のクラスは3階。先生は、階段をゆっくり一段一段ツラそうに上っていた。それでも教室に着くと笑顔になって「みんなごめん、ちょっとだけ休憩させて、すぐ始めるからね」と言って、いつもと変わらない授業をしてくれた。

そんな姿を見て「薬剤師になれば、白血病を簡単に治してしまう薬も作れるかもしれない…」と思い、薬剤師になりたい気持ちはますます強くなった。

だけど、先生の体調が良くなることはなかった。日々悪化し続け、ついに学校に来れなくなってしまった。入院が決まったらしい。

教室

大好きな理科の先生がいなくなった寂しさを埋めるように、私は千羽鶴を折り始めた。友達7人にも手伝ってもらった。

早く元気になってほしい、早く戻ってきてほしい、そしてまた理科の先生の授業を受けたい、そんな気持ちで休み時間や放課後、家に帰ってからもツルを折った。ひたすら折り続けた。折りすぎて、自分が何を折っているのか分からなくなる錯覚にもなった。

そうして、ようやく完成した千羽鶴に手紙も添えて。担任の先生にお願いして、理科の先生に届けてもらった。

その頃、悪口を言われるようになってから半年が経っていた。それでもまだ飽きることなく私の悪口を言っていて、ちょっかいも出されるようになっていた。机に「死ね」と書かれたり、物が無くなっていたり。

机

そしてある日、机の中を見るとノートだけが全て無くなっていた。そう、理科のノートも。これは後で知ったことだけど、全て山奥にばらまいてしまったらしい。だから、必死になって探したけど、見つかるわけがなかった。

理科の先生との楽しかった思い出。先生のコメントまで入った大切なノート。その宝物を失ったショックが大きすぎた。そこでやっと、いじめられている事実を先生や親に話した。すると、いじめっ子5人と私の話し合いの場が作られた。

担任の先生「なんでいじめたんですか?」

いじめ女子「え、顔が気持ち悪いと思ったから」

衝撃的だった。絶望的だった。複雑な気持ちだった。そんなことでいじめられていたのか。それで宝物まで失うことになったのか。それから私は考えた。顔が気持ち悪くていじめられるなら、可愛くなればいじめられないんじゃないかと。

中学生の私が出した答えは「可愛い=細い子」だった。当時の私は157cmで45kg。べつに太っているわけでもなかったと思う。健康体の普通体型ってやつだと思う。でも普通体型なだけで「細い子」じゃなかったから、すぐにダイエットをし始めた。

朝は小さいおにぎり1個、お昼はスカスカのお弁当、夜はスープやサラダのみ。ひどい空腹に襲われてイライラするようになった。

ノートを失ってから勉強する気力さえも失ってしまい、テストの点数は下がり続けた。また、食べ物のことばかりが気になって、授業も頭に入ってこなかった。

すぐに35kgになった。マイナス10kg。生理はこなくなった。

イスに座っているとお尻の骨が当たって痛いから、ずっと座っていなきゃいけない授業がツラい。布団に寝ているのに背骨が床に当たって痛いから、なかなか寝付くことができない。

体育の時間には、腹筋が1回もできなくなっていて先生と組まされた。持久走をすると口の中に血の味が広がった。

ある日、貧血か何かで保健室に行ってベッドで寝ていたら、なぜか母に起こされた。保健室の先生が母を電話で呼び出したらしい。

保健室の先生「精神科を紹介します」

わけがわからなかった。精神科は頭のおかしい人が行く場所だと思っていたから。私は正常で、何もおかしくないのに、なんで行かなきゃいけないんだろうって。

そこからあまり学校に行かなくなったんだと思う。中3の学校生活の記憶がほとんど無い。覚えているのは、平日に母とバスに乗って精神科に通っていたこと。

バス

精神科の先生「摂食障害という病気です。拒食症です。あと1kg痩せたら入院させます。42kgになれるように頑張りましょう」

むかついた。私が病気?あと1kg痩せたら入院?冗談じゃない!私は病気じゃないし入院なんてしたくない!こんな先生にも会いたくない!太ればいいんでしょ!?そう思って、今度はたくさん食べるようになった。これも摂食障害で、「過食症」と呼ばれるもの。

だけど、最近ずっと悲しそうな顔をしていた母が、私のたくさん食べている姿を見せると少し笑顔になる。安心したような、嬉しそうな、そんな顔をしてくれる。摂食障害で満腹中枢もぶっ壊れているし、ひたすらに、ものすごい量を食べ続けた。

でも食べた後には「食べてしまった……」という、とてつもない罪悪感に襲われる。トイレに行って、のどに指を突っ込んで無理矢理吐いた。吐く時に力むせいで、まぶたの毛細血管が内出血して赤い点々ができた。これだとせっかく喜んでくれた母が心配すると思い、すぐに吐くことはやめた。そして体重は一気に増えていった。

その頃の私はもう授業についていくこともできなくなっていた。薬剤師の夢も諦めた。夢まで失ってしまったと感じた瞬間、急に、自分が何のために生きているのかが分からなくなった。今まで勉強していたことも無駄になった。必死に痩せたことも無駄になった。努力は無駄になる、そんな自分の人生に絶望した。

そして、ある晩、私は母に包丁を突きつけた。

私「嫌だ!もう嫌だ!生きることがツラい!苦しい!死にたい!だから殺してよ!!!お願いだから殺してよ!!!!!」

近所迷惑だなんて気にする余裕もなく、とにかく大声で叫び散らした。すると母は包丁を優しく取り上げて、強く強く抱きしめてきた。

母「どんなことがあっても、ママだけは絶対に味方だから、自分のためじゃなくてもいいから、ママのために、生きてほしい……」

抱きしめられて、自分の骨ばった体が痛かった。でも、すごく温かかった。母のためにでも、とりあえず生きておこうと思った。

母と私

高校受験のために、中3の後半は普通に学校に行くようになった。すぐに友達から「理科の先生から返事きてたよ!」と、手紙を渡された。理科の先生がその後どうなったかは知らない。でも私の中では普通に生きているし、その手紙は今でもお守りとして大事に持っている。

成績は理系科目の方がまだ良かったから、科学技術の高校を受験した。受験時の持ち物は、「受験票」「鉛筆」「消しゴム」……。そして、「理科の先生からの手紙」。

高校生の頃の私

無事に第一志望の科学技術の高校に合格した。理系の高校だからクラスに女子は4人しかいなかったけど、そこにいる人たちはみんな「摂食障害の頃の私」を知らない人たち。そう思うと少し気がラクだった。中学の引きこもり時に、少年向けのアニメにハマっていたこともあり、男子とはすぐに仲良くなった。

すると女子に目をつけられ、「ブスのくせに」「男子とばっか話してる」「ビッチ」と言われるようになった。またいじめられる学生生活。なるべく目立たないように教室の隅で絵を描いて過ごすようになった。顔を見られたくなくて髪は伸ばした。

悲しくないはずなのに毎日のように涙が出てくる。と思ったら突然、周りのもの全てを破壊したいような、自分の身体の中をぐちゃぐちゃにかきむしりたいような、どうしようもない衝動に駆られる。いつ死んでも良いやという気持ちで、車道の真ん中を歩いてみたり、電車のホームから落ちそうなギリギリを歩いてみたり。そんな精神状態。

それでも家で絵を描いたりマンガを読んだりアニメを見たりゲームをしたり。その時間だけは現実を忘れられるから楽しかった。youtubeでボカロや歌い手、アニソンキャラソンを漁っていたら、関連動画に「友達なんていらない死ね」というMVが表示されていた。ひとりで行動することが増えていた私は「これ私じゃんw」と思って、なんとなく再生した。

♪ 午後〜2時〜精神科〜

母とバスで精神科に通っていた時のことを思い出した。

♪ え、まじ!?そんなセリフが言えたとき〜お友達ってやつがいるのかな〜

クラスで「キャハハ!」と騒ぐ、大嫌いな奴らの姿が浮かんだ。

♪ タンバリンを一応鳴らして一応生きている〜

夢も希望もなく、ただ、一応、生きている私……。

この曲を聴いていたら、べつに無理に友達を作る必要はないし、周りの人たちはどうせ「え、まじ!?」「やば!」だけで会話しているような薄っぺらい友達関係なんだと思えてきて、ひとりでいることが少しだけ悲しくなくなった。

そこから神聖かまってちゃんの楽曲を聴くようになった。「聴くようになった」というより、「助けを求めるようになった」の方が正しいかもしれない。

母に殺してと頼んだ時、「ママのために生きて」なんて言われたけど、私は勉強も何も出来ない、ただお金がかかるだけの存在になってしまったから、死ぬ方が母のためになると思っていた。だから心が壊れる度に、私の中には「死ぬ」という選択肢しかなかった。

だけど、イヤホンで外界の音をシャットダウンすると、大音量で流れてくる神聖かまってちゃんの楽曲が「絶望の中での生き方」を示してくれた。そして「とりあえず生きる」という選択肢を私に与えてくれた。

「頑張ろうよ!」「元気出そうよ!」「小さな幸せ見つけようよ!」と責めてはこない。「そうだよなぁ、苦しいよなぁ、死にたいよなぁ」と寄り添ってくれる。この世で一番近い存在である家族にさえも理解してもらえない私の孤独な気持ちを、胸に渦巻く苦しみを、代わりに吐き出してくれる。そんな感じ。

神聖かまってちゃんのCD

神聖かまってちゃんを聴いて、絵を描いて、とりあえず学校に行って、なんとか生きて、高校を卒業した。

大学生の頃の私

ひたすら目立たないように、卒業アルバムにもほとんど残らないように、隠れて生きた高校時代。もうこんな生活を続けるなんて嫌だ。変わりたい。見た目が明るくなれば中身も明るくなるかもしれない。そんな気持ちで茶髪に染めた。大学デビューってやつだ。髪に合う顔にするために濃いめのメイク。ギャルなりたて、みたいな感じの見た目だったと思う。

でもそれは失敗だった。絵を描く大学だったから、みんな黒髪で、メイクしていない人も多くて、すぐに私は浮いてしまった。見た目が明るいだけで中身は暗いままだったから、自分から話しかけに行くことができず、ひとりぼっちが続いた。

このままじゃ何も変わらないと思い、勇気を出して話しかけてみたらすぐに友達ができた。と、思っていたのは私だけだった。すぐに省かれるようになって、噂で悪口を言われていることを知った。「ブスのくせに」とか、いじめられている男子とデキているとか。大学生になってもいじめがあることに絶望した。そして誰のことも信用しなくなった。

大学生活

大学1〜3年は、ただ授業を受けに行くだけの学校生活。そのまま大学3年も終わろうとしていた時、就職活動が始まった。半強制的にセミナーに参加させられたり、進路相談室を予約させられたりした。

進路相談室の先生は、30後半〜40前半くらいの優しい見た目の女性。「お母さん」と呼びたくなるような風貌。というか中学生の娘がいるお母さん。私は誰に対しても心を閉ざしていたから、「結局この人もお金で雇われて進路相談させられているだけの人」としか思えず、テキトーにやり過ごそうと思っていた。

進路相談の先生「宇佐美さんは、何になりたいの?」

私「分からないです」

進路相談の先生「そっか。じゃあ、好きなものを何でもいいからたくさん書き出してみよう!」

好きなこと

素直に好きなものを思いつくだけ書き出してみた。「神聖かまってちゃん」も書いた。すると、その文字を見た先生の目が変わった。

進路相談の先生「え!神聖かまってちゃん好きなの?」

私「知ってるんですか……?」

進路相談の先生「私も好きなの!の子さんの配信も見てるよ!」

私「!!!!!」

進路相談の先生「かまってちゃん好きな人、初めて出会ったよ〜」

私「わ、私もですっ!」

進路相談の先生「かまってちゃんは、こういうとこがいいよね!」

私「分かります!あとこういうとこも……!あ、実は最近、神聖パタってちゃんっていう神聖かまってちゃんのゲームアプリを、友達と3人で作ったんです!Twitterで知り合ったから会ったことは無いんですけど、大阪と福岡の子で……」

進路相談の時間なのに、神聖かまってちゃんのトークで盛り上がった。大学3年が終わろうとしているのに、大学でこんなに話した人が他にいただろうか。大学生活初の楽しい出来事に、とても嬉しくなった。

進路相談の先生「かまってちゃんは、なんで好きなの?」

そのままの勢いで自分の過去のこと、そして神聖かまってちゃんの曲に出会った時のことを話した。今までの人生を振り返ると苦しくなって涙が溢れた。

私「だからもう誰のことも信用していないんです。学校も楽しくないです。友達もいないし。夢もないし。かまってちゃん聴いて、とりあえず生きています」

進路相談の先生「え?友達って、Aさんたちだよね?」

私「あー、まぁ、いっしょにはいますけど。私がいなくなったら悪口言ってると思いますよ(苦笑)」

進路相談の先生「私、Aさんも担当してるけど、宇佐美さんのこと友達だって話してくれているよ」

私「え……」

進路相談の先生「そうだ!履歴書を書くにも、面接するにも、自分で自分のことをちゃんと知っておくことが大事だから、長所と短所、友達に聞いてみなよ!」

それから少しずつ友達との距離を縮めて接するようになった。履歴書の参考にしたいから私の長所と短所を教えてほしいって聞いたら真剣に答えてくれた。私が友達だと思っていなかっただけで、向き合っていなかっただけで、友達は私をちゃんと見てくれていたんだって気付いて、そこから人に対して心を開くようになっていった。

そして、私は進路相談室に行くのが好きになった。就職の悩みも、関係ない他の悩みも、神聖かまってちゃんの話もできる場所。どんな話も真剣に聞いてくれるから心地よかった。そんな進路相談の先生に頼ってばかりいないで、自分のことなんだから自分でできることは何でもやろう、そう思って、毎日100件の求人に目を通して気になる仕事をピックアップするようになった。

すると、「Webデザイナー」という職業が目に止まった。神聖かまってちゃんが「インターネットポップロックバンド」だから。ネットで出会って救われたから。私もネットを使った仕事をしたいと思うようになっていた。デザインに関して全く知識は無かったけど、絵が描けるという自分の特技も何か使えるんじゃないかと思った。

進路相談の先生「Webデザイナーとして力がついたら、神聖かまってちゃんのサイトデザインも考えて持って行ってみるとかもできるかもね!」

私「それ!最高ッ!!!」

絶対にWebデザイナーになりたいと思った(単純)。月1で神聖かまってちゃんのライブに行って自分を励ましながら就活を続けた。

ぺんてる_01

ぺんてる_02

そして、Webデザイナーとしての就職が決まった。嬉しくて泣きそうな気持ちを抑えながら、進路相談室に駆け込んだ。その時、私はわざと下を向いて、元気なさそうな顔をした。

私「結果、出ました……」

進路相談の先生「え!どうだった……?」

私「それが……」

進路相談の先生「だ、大丈夫っ!次行こう!いっしょに頑張ろう!」

私「内定!もらいました!」

進路相談の先生「……!」

驚きから笑顔に変わっていく先生の一瞬の表情を見て、自分事のように喜んでくれていると感じ、私の涙腺は崩壊した。

私「先生のおかげです〜〜〜〜〜(泣)」

本当に良かったね。と、何度も言ってくれた。うん、本当に良かった。

社会人になった私

そうして一度の転職を経て、現在は梟屋で働いています。今までやってきたこと、今まで経験してきたこと、全てが意味あるものだったと思える最高の環境です。

科学技術の高校ではIT領域を取っていたおかげでPCが普通に使えたり、プログラミングがなんとなくでも分かったりしています。大学では絵や漫画の勉強をしましたが、当サイト「Qurio」で漫画も描いています。薬剤師にはなれなかったけれど、薬剤師に関するコンテンツに携われています。

学生生活はいじめられている期間が長く、青春のせの字も無い感じでしたが、だからこそ神聖かまってちゃんに出会えたし、同じように心に傷を負った人たちの気持ちにも寄り添うことができると思います。

ーー悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。

上記の言葉は、私の好きな言葉です。シンデレラの意地悪な姉もそうですよね。悪口を言う側は「引き立て役」であり、悪口を言われる側は「主役」。だから自分がいじめる側の人間じゃなくて良かったとも思えるんです。

また、限りある人生の時間を、人を批判することに割いたり、嫌いな人のことを考えるのに使ったり、そんなのは人生の無駄遣いで、もったいないことなんです。だから私はこれからも悪口は言いたくないし、嫌いな人がいたとしても考えないようにしています。

そう考えると、生きていて無駄なことなんて何ひとつ無かったんです。「努力なんて無駄になるんだ」と絶望して死を考えていた中学時代の私に、今の私の姿を見せつけてやりたいです。

うまくいかない事もあるさ人生 全部きっと良くなるさ

ツラい時期をなんとなくでも生きてきて、本当に良かった。

執筆

宇佐美 りんご

高校ではIT領域、大学ではマンガ領域を、当時は夢がなかったために何となく専攻していた。現在はマンガを描けるWebデザイナー兼ディレクターになるという夢を持って、課題に追われる日々を過ごしている。「料理もデザイン」と聞いてから自炊するようになった。Twitter:@usa3rin5

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